時代の風~第32回 寛容減る社会進むAI~多様性とインクルージョン~(2019年11月17日)
私は、2016年4月から、毎日新聞に『時代の風』というコラムを、6週間に1回、連載しています。 現代のさまざまな問題を、進化という別の視点から考えていきますので、ご興味のある方はご一読ください。
寛容減る社会進むAI~多様性とインクルージョン~
1989年 11 月 9 日にベルリンの壁が崩壊してから、今年で 30 年である。記念式典で演説したドイツのメルケル首相は、壁の崩壊は、人々を分断する壁がいかに高くあろうと、それを打ち破ることができる証しだと述べた。しかし・・・・・・。
あれから 30 年の間に、世界はなんと大きく変わったことだろう。大きく変わっただけではない。当時は誰も思いもしなかった方向に変わった。この先もどこへ向かうのか、まったく不透明で不安をあおる。
歴史の大きな流れを見ると、世界はだんだん良くなってきた。どんなに底辺にいる人々でも、昔に比べてより豊かになった。さまざまな紛争やテロにもかかわらず、戦争や暴力で死ぬ人々の割合は減少し、より平和な世の中になってきている。 18 世紀のフランス革命や 19 世紀の奴隷解放、女性の権利の拡張などを経て、より多くの人々の権利が守られるようになった。
それにもかかわらず、毎日の薯らしの中で、人々は、より幸せになったとは感じず、将来への不安の方を、より強く感じている。
最近は、ダイバーシティーとインクルージョンを重んじようということが、あちこちで言われるようになった。ダイバーシティーとは多様性だ。つまり、社会の構成員にさまざまな多様性があることを良しとしよう、という考えである。インクルージョンは、包摂。その多様な人々のさまざまな立場や考えを包摂し、なるべく多くの人々が、普通に快適に暮らせるようにしよう、という考えである。
集団に多様性がある方が、ないよりも変化に強い、というのは、生物学的な事実だ。集団内に遺伝的多様性がないと、環境の変化に対応できずに絶滅する可能性が高い。生態系にさまざまな種が存在し、互いに複雑な関係性を持っている環境ほど、外部からのかく乱に強い。これらのことから考えると、人間の社会にも、さまざまなレべルで多様性がある方が、ないよりもよいはずだ。
しかし、問題は単純ではない。多様性がよいということで、たとえぱ、男性ばかりでなく女性も職場に進出させようとする。ところが、その職場の運営にかかわる規則や慣習が、男性ばかりで運営されていたときとまったく変わらないまま、そこに女性を入れると、女性の都合や立場を無視して、男性と同じになって働けといことになる。これはおかしい。
そこで、インクルージョンという概念が必要になるのだ。女性ばかりではない。障害者も、外国人も、移民も、多様な人々が一緒に暮らせば、互いに異なる要求や主張を持っているので、意見を戦わすことになる。女性が男性のやり方に合せて働かねばならないのはおかしいのと同様、外国人が日本で働くなら日本の習慣に従えとただ強制するのはおかしい。みんなの意見を戦わせた上で、もっとも納得のいく地点を見つけねばならない。それには、大きなコストがかかるのだ。
女性が本当に職場で活躍できるためには、男性も家事・育児を相当に分担せねばならない。障害者の人たちがより快適に暮らせるようにするには、そのための設備投資が必須である。外国人に対する日本語支援も必要だ。日本方式を見直し、新たな仕組みを導入する必要も出てくる。
社会は、意見や要求の異なる多様な人々で成り立っている方がよいのだと思えば、そういう人々がより快適に暮らせるように、社会の仕組みや基本的な考え方も変えていかねばならない。そのコストは大きいのである。それに対する反感の表れが、あの相模原の障害者施設での大量殺人であり、移民排斥やヘイトスピーチなのだろう。
ソーシャルメディアの普及によって、人々は、どんな考えでも、述べれば瞬時に賛成を得る可能性を手にした。反対の考えの人とはつながらなければよい。沈思黙考などという言葉は、もはや死語になっているのではないだろうか。
そんな世相の中で、これからますますAIの使用が進む。人々の心に余裕がなくなり、違いに対する寛容さが減る中でAIが「大活躍」するのだ。
その「活躍」がどんなものか、ここはよく考えねばならない。より多くの多様な人々が、より快適に過こせるようにするために、AIはどう使えるのか。それを目標にみんなで考えよう。
( 2019 年 11 月 17 日)