時代の風~第50回 加速する種の絶滅 決断の先送り、やめよう(2022年1月9日)
私は、2016年4月から、毎日新聞に『時代の風』というコラムを、6週間に1回、連載しています。 現代のさまざまな問題を、進化という別の視点から考えていきますので、ご興味のある方はご一読ください。
加速する種の絶滅 決断の先送り、やめよう
2022 年になった。私が生まれた 1952 年は、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が米国の占領から独立した年であった。私の小さいころには、白い衣を着た傷痍(しょうい)軍人という人たちがいて、まだ戦争の名残が見られた。
そこから先は、高度経済成長の時代だ。印象深いのは 64 年の東京オリンピックである。明日は、来年は、今日よりも絶対に良くなると、みんなが信じていられた時代だった。しかし、一方で政治的イデオロギー闘争がさかんだった。それもこれも、誰もが、よりよい世界が来ることを信じていたからだったのだろう。
72 年、私は大学に進学した。 60 年代からの学園紛争は終わったが、まだ「闘争」は続いていた。学生たちは一般に政治的な動きからは遠ざかりつつあったが、内ゲバや過激派の一部によるテロ活動が続いた。
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80年、私は夫とともに国際協力事業団(現国際協力機構= JICA) の派遣専門家として、アフリカのタンザニアに赴いた。野生チンパンジーのための国立公園建設の計画で、そのときの調査データが私たちの博士論文になった。帰国したのが 82 年である。
途上国というのがどんな状態であるのか、文化の違いとは何か、などについてさんざん考えさせられた 2 年間であった。その後、英国のケンブリッジ大学で研究したり、米国のエール大学で教えたりした。そこに 89 年のベルリンの壁崩壊があり、それに続くソビエト連邦の解体がある。
当時、英国の友人たちともよく話したが、私たちが生きている間に、米ソの対立が終わるなどとは、そのころはとても考えつかなかった。でも、それは実際に起こったのだ。
共産主義か自由主義かという思想の対立が終わった以後の世界で、もっとも重要な課題となるのは地球環境問題だ、という風潮になった。「環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言」が出された地球サミットが 92 年だった。しかし、人類は地球環境を破壊し過ぎている、このままでは危ない、という警告は、それよりもずっと以前からなされていた。誰も聞く耳を持たなかっただけのことだ。
最近やっと、国連が持続可能な世界を築くための自標である SDGs を公表し、全世界的に取り入れられるようになった。 21 年、気候変動枠組み条約の締約国会議である COP26 では、 50 年までに全世界の二酸化炭素排出をゼロにする、熱帯降雨林の伐採をゼロにする、などという「喜ばしい」目標が採択された。それを実現するために、世界各国は政策を練らざるを得ない。今後もこの潮流は変わらないだろう。
これで二酸化炭素の排出を抑えようということは、全世界で合意された。しかし、環境危機はそれだけではない。地味だが非常に重要なのが、種の絶滅である。
世界中で開発が行われ、人々がより快適な生活を送れるように環境が改変されていく中、たくさんの種が絶滅している。でも、その危険性については、まだ一般社会では重要視されていない。見知らぬ虫やら植物やらがいなくなっても、その場ではなんの実害も感じられないのは事実だ。
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実害が感じられるようになったときは、私たち人類も含めて全員がおしまいだ、ということなのだが、それを想像するのは難しい。
名も知らぬクモやコケが絶滅してもそれが何だと言うのか。しかし、そうやって種の絶滅を続ていくと、自然界のバランスは、あるところでがらっと変わる。
私たちは、地質学的時代としてはとても短い間に、もうすでに莫大な数の種を絶滅させてしまった。環境の変化とともに種が絶滅するのは、いずれにせよ自然現象だという意見もあるが、それは絶滅の速度を勘定に入れていない。近年のヒトによる他種の絶滅速度は、 1 日当たりで 100 種を超え、 1 年間では 4 万種が消えている。こんなことは今までにはなかった。
先の見えない時代だとは、よく言われる。しかし、今がとくに先が見えないわけではない。何をしなければ世界がだめになるのかは、もう事実として明らかだ。あとは、どういう世界を作るかを決め、それに向かって困難を一つずつつぶしていく決意が必要なだけなのではないか。「先の見えない時代」という合言葉のもと、決断を先送りにするのはやめにしよう。
( 2022 年1月9日)