時代の風~第56回 AIにしてほしい仕事 人間社会の解明に期待(2022年10月23日)
私は、2016年4月から、毎日新聞に『時代の風』というコラムを、6週間に1回、連載しています。 現代のさまざまな問題を、進化という別の視点から考えていきますので、ご興味のある方はご一読ください。
AIにしてほしい仕事 人間社会の解明に期待
これからの世界がどうなるのか、かなり不明朗になってきた。第二次世界大戦後の世界秩序は、冷戦の終結で一つの終わりを遂げ、その後、民主主義と自由主義が世界全体の流れになるのかと見えたときがあった。「アラブの春」などと呼ばれた動きもあったが今は昔。
その後、世界はそんなに単純に一方向には変わらないことがわかった。そして、新型コロナウイルスのパンデミックがあり、ロシアのウクライナ侵攻があり、米中対立が進んでいる。
社会の動きを何か科学的に分析できないものだろうか? 人間が集まって作る社会の動向は、あまりにも複雑であり、到底、自然科学のような手法では解明できないものなのだろうか?
世界を見ると、社会の動向にかかわる要素は実にさまざまなものがあり、要素間の関係は複雑である。しかも、偶然起こった―つの出来事や、ある一人の政治家の気質が、全体に対して大きな影響を及ぼすこともある。これはカオスだろう。しかし、カオスに立ち向かうには、カオス理論というものもあるのだから、なんとか解析できないものか?
人工知能 (AI) など情報解析に関する技術が、最近飛躍的に進んでいる。以前は考えられないほどの大量のデータを扱うこともできるようになったし、深層学習という方法で、機械にデータの読み方を習わせることもできるようになった。では、人間社会の運営の歴史のような複雑な問題にも、これらを駆使して新たな研究の展開が期待できるのではないか?
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なくてもよいような技術を開発したり、人を依存症にさせ、時間を無駄にさせるだけのゲームを開発したりするのではなく、何か、本当に昔はできなかった問題の解明に立ち向かってほしい。
最近、おもしろいと思った科学関連のニュースに、メソポタミアの粘土板に記された楔形(くさびがた)文字に関するものがある。葦(あし)の茎の断面を利用して、軟らかい粘土板に記号を刻み、それを焼いて固めて保存したという、あの楔形文字である。
紀元前3000年もの昔にシュメール人が発明した文字だ。この楔形文字は、およそ165年前に一応は解読された。しかし、あまたにある粘土板のほとんどは今でも読まれてはおらず、古代の精神世界の解明にはほど遠い。
それらの多くは、取引の詳細や裁判のような記録を含む、いわゆる行政文書である。しかし、しばらくすると個人の感情を描いた詩や物語も現れるようになり、文字文化というものが、必要にせまられた記録の世界から、個人の心的表象の表現の世界へと拡大したことが見て取れる。
さて、それらの読み解きであるが、それには長らく、一握りの専門家たちの努力を待つしか発展の可能性はなかった。今現在、この楔形文字を流ちょうに読みこなせる学者は、世界に数人しかいないらしい。
ところが、である。最近は、それらのデータを AI に読み込ませ、解析させることで、何が書かれているのかの解明が飛躍的に進んでいるとのことだ。
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実はこれは大変な作業なのでだ。紀元前 3000 年から、おびただしい量の粘土板が製作され、実に多くの情報が記録された。粘土板に記された文字は消えないので、大量に保存されている。しかし、時代とともに粘土板は壊れ、戦争などで故意にはかいされ、破片がちりぢりになった。
その結果、ドイツの博物館に収蔵されている粘土板の一部が、実は、アメリカの地方の博物館に収蔵されているものと一体であり、その続きは英国の博物館に収蔵されていた、などということは日常茶飯事に起こっている。
それらを全部つなぎ合わせて読めたら、古代文明に生きた人々が何を書き残したかがわかる。そして、古代の人々の生活の諸側面が明らかにされるだろう。それが、 AI によって急速に解明されている。
冒頭に述べたような、社会の運営のあり方の変遷などという複雑な問題に取り組むのは、まだ難しいかもしれない。しかし、私は、 AI をこのような仕事に使ってほしいと思う。少数の専門家に頼らずに新発見ができたら、それをまた、人間の専門家が分析すればよいのである。
(2022年10月23日 )