時代の風~第38回 人類のエネルギー消費 地球1.6個分は多すぎる(2020年8月9日)
私は、2016年4月から、毎日新聞に『時代の風』というコラムを、6週間に1回、連載しています。 現代のさまざまな問題を、進化という別の視点から考えていきますので、ご興味のある方はご一読ください。
人類のエネルギー消費 地球1.6個分は多すぎる
世界はこれからどうなっていくのだろう?コロナの感染拡大により、これまで私たちが当たり前に行ってきたことの多くができなくなった。それは、みんなで集まって仕事をしたり、食べたり飲んだりおしゃべりしたりすることである。
人類は協力して生業を営み、火を囲んで一緒に食事をし、スポーツやらお祭りやらの楽しいことを一緒にすることで連帯感を醸成してきた。そうしたいという欲望は、私たちの生きがいと直結している。このことは、人類が農耕と牧畜を始め、定住生活をするようになるよりずっと前からそうだった。
それが、定住生活を始めると「仕事」の種類が変わり、社会のあり方が大きく変わった。多くの人間がいつも一緒に顔を合わせて暮らせるので、仕事が分割、分業化された。知識も分割され、それぞれの専門領域ができて、専門家集団の中で洗練されていく。より効率的に、より楽に、より多くの物資を手に入れる方法が発明され、その速度がどんどん加速した。楽しいことの種類も増え、美しいものへの追求も深まった。つまりは、あらゆる欲望をかなえる方向に、人類は知恵を使ってきたのだ。
それでも、 18 世紀に石炭火力を利用した蒸気機関が発明されるまで、人類は何をするにも、人力か家畜の力か、つまりは自然のエネルギーに頼るしかなかった。だから、ダビンチがいかにヘリコプターや戦車の前身にあたるものを考案しようと、あの時代、それらを実用化することはできなかったのだ。
それが、石炭、石油、やがては原子力という動力源を手に入れたことによって、社会は一変した。
地球上のすべての生物は、太陽エネルギーに起因するエネルギーで生きている。太陽エネルギーを使って植物が自分のからだを作る。その植物を動物が食べる。生物が死ねば、そのからだは分解され、また原子や分子に戻る。それがまた使われて次の生物が生まれる。そこには一定の循環があり、それぞれの生物は、分相応に太陽エネルギーを利用して暮らしており、地球全体として、エネルギー収支はとんとんだった。
しかし、人間は、この太陽エネルギーとは別に、独自の動力源を持ったのである。以後、鉄道、自動車、船舶、飛行機、各種機械などなど技術革新は目覚ましく、森林は破壊され、大量の生物種が絶滅していく。
その結果、今では、私たち人類だけで、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの量に換算すると地球1・6個分のエネルギーを消費している。私たちは、いかに石油その他の資源を大量に使ってエネルギーを燃やしているのか、いくら何でもこれはやり過ぎだろう。
そこで最近は、この時代を「人新世」と呼ぼうという提案がなされている。地球46億年の年代は、地質学的にいくつかに区分されており、現在は大きな区分でいうと新生代。その中では第四紀だ。第四紀の中もいくつかに分類され、今は完新世である。その直近の時代として、新たに「人新世」を設けようとの提案だ。
地球の自然生態系がある。そこに人類という動物が進化してきた。その人類は知識を共有して文化を築き、さまざまな発明をし、地球の表面を改変してきた。これを、人間文化生態系と呼ぼう。人間文化生態系は、初めは地球自然生態系の中に完全に組み込まれていた。しかし、特に人類が独自の動力源を手に入れた頃から、地球自然生態系の手を離れ、地球環境を蚕食しながら肥大化していく。今や、この地球上には、地球自然生態系と人間文化生態系とが、二重構造として存在している。それでも、人間文化生態系が、地球自然生態系の基盤の上に成り立っていることに変わりはない。環境問題はこの二重構造の無理の表れだ。
新ウイルスの出現もその一つである。地球環境を改変し、これまでになかった動物との接触を増やしたことが原因だ。周囲の天候からまったく隔絶されてエアコンの利いた都会の部屋は、人間文化生態系の象徴だ。その中でウイルスによって孤立させられても、みんなで一緒に飲み食いしたいという原始からの欲求は捨てられない。私たちがからだを持った動物であるという事実も変えられない。さらにエネルギーを費やすことでこれを解決することはできないと私は思う。
( 2020 年8月9日)