2019.07.14
時代の風~第29回 暗黙知の軽視 「人を見る目」置き去りに(2019年7月14日)
暗黙知の軽視 「人を見る目」置き去りに
日本文化は、自然と人間を一体と捉え、自然と共存をはかることを当然としてきた、という主張はよく聞く。集落があり、その外に里山があり、さらにその先が奥山。奥山は野生の鳥獣のためにとっておく。
自然は人間が征服する対象だとはみなさない、どこまでも欲望のままに収奪することはしない、そんな奥ゆかしい態度が日本の思想である、と言う。
そうだとしたら、高度成長期になぜあんなにもあっさりと、里山も奥山も壊してゴルフ場などにしてしまったのか?工場の廃液などが原因で起こった公害問題も、その他の環境汚染も、二酸化炭素の排出も、ことが重大になる前に、日本が自らの思想に基づいて歯止めをかけたことはなかったではないか。なぜか?
おそらく、日本文化は自然と人間を一体ととらえ、自然と共存をはかるのが当然と考えるというのは、電気も工場もなかった昔、実際に日本人はそうやって暮らしていた、ということなのだろう。
「お米を大切に」「おてんとう様に顔向けができない」「一寸の虫にも五分の魂」などの言い回しは語り継がれてきた。しかし、誰も、「自然と共存をはかれ」ということを「思想」として明示したことはなかった。が、日常がそのように営まれていたのである。
そこへ、自由市場の資本主義経済による開発の波が押し寄せた。そこには「開発すればお金がもうかる」という明確な論理があり、その利点は金額という一次元尺度で明示されていた。それを前にして、暗黙の「自然との共存思想」は、ひとたまりもなくどこかへ飛び去ってしまったのだろう。
21 世紀の今、健康な生活を送る基本的人権はもちろんのこと、多様性の確保、地球環境の保全、未来世代のための持続可能な発展などという概念が、理念として明示され、それらを実現するための施策がいろいろと練られている。
理念が明確にあるのは大事なことだ。それでも、これらの理念は、他の短期的な目標としばしば対立する。そして、短期的目標の方が、もうけの金額のように明快なので優先されてしまいがちだ。ましてや、とても大切なのに明示されてはいないもの、というのは、どこかに置き去られ、消えてしまうのではないかと危惧するのである。
たとえば、人を見る目というものも、そんな、なんとも明示的には表現しがたいが、とても大切な能力であると思う。しかし、そんな曖昧な第六感をもとに、人を採用したり、試験で不合格を出したりすることは、なかなかできない。
判断の根拠には客観性が必要ということで、根拠資料を作る。そのために数値化をする。「人を見る目」は確かに存在するのだが、問題は、その判断を、手持ちの数値の組み合わせで明示的に表現することは難しいということなのだ。
それを、何らかの明示的な数値ではかることに決めてしまうと、それだけが大事なものになってしまい、やがて、「人を見る目」の暗黙知の方は軽視されるようになるだろう。
教育の効果を測定する、というのも似たようなものだ。教えたことをよく理解したかどうかを試験で測定することはできる。しかし、それが教育の効果の神髄ではない。もともとの能力や育った環境によって、人はそれぞれ違うはずだが、ある教育を受けたことによって、その人がどれほど人間的に成長したか、それが教育の効果だろう。どうすればそれを測定できるか?そもそも「測定」できるものなのか?
さらに言えば、この世のすべての現象は、意味ある形で測定できるのだろうか?測定できなかったものを測定できるようにして進んできたのが自然科学である。しかし、科学は、人間にとって意味を持つすべての現象について、その意味を十分に表す測定を考案できるのだろうか?
測定して明示できるのは、現象の一つの側面に過ぎないはずだ。それをいくつか組み合わせれば、今はなんとも言いがたいものも、究極的には表現できるようになるのだろうか?
さらに、そうして何もかも数値にしなければ、納得してもらえないのだろうか?いろいろ測定はするとして、最後に人間の判断が出てこないのであれば、それは、人間が信用されないということなのだろう。
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