2019.03.10

時代の風~第26回 先住民との信頼不可欠 遺骨発掘と自然人類学(2019年3月10日)

先住民との信頼不可欠 遺骨発掘と自然人類学

私は、いろいろな動物の研究もしてきたが、もとは自然人類学の出身である。人類学というと文化人類学が有名だが、私の専門はそちらではなく、生物としてのヒトの進化を考える自然人類学の方だ。

自然人類学を専攻できる大学は、日本には非常に少ない。その代表が東京大学と京都大学だ。いずれも定員が 10 人以下なので、日本で毎年誕生する自然人類学者の数は、たかが知れている。だからなのか、あまりその存在が世に知られてはいない。

しかし、人類学の研究は、私たち自身に関するものなので、もっと注目されてよいと思う。また、科学と社会との関係を考える上でも、重要なトピックに事欠かない。自然人類学は、ヒトの進化を探求する学問だが、そのルーツは、ずっと以前からある。それは、この地球上に住んでいるさまざまに異なる人々、つまり、人種の違いの研究であった。

ヨーロッパはアフリカと近いので、黒人がいることは昔から知られていた。それが、大航海時代の探検により、さらにいろいろな人々がいることがわかった。アメリカ大陸の先住民なども、こうして新たに「発見」された人々だった。

その後、世界は、西欧による征服と植民地化の波にのまれる。その中で、ヒト集団の多様性を明らかにしていくはずの人類学は、人種を区別し、人種間に優劣をつけ、西欧が他の人種を征服することを正当化する根拠を提供していった。

人類の集団間の違いを測定しようとすれば、標本が必要だ。人類学者は、生きている人々も計測するが、古い骨も欲しい。そこで、各地で骨の発掘がなされるわけだが、そこには、先住民たちの墓をあばいて骨を持っていくというような行為も多数含まれていた。

米国では、アメリカ・インディアンと呼ばれた人々、オーストラリアではアボリジニの人々、ニュージーランドではマオリの人々が、祖先の遺骨や文化遺産を持っていかれた。西欧の博物館に収蔵されているもののほとんどは、このような収奪の結果である。

日本では、東大や京大をはじめとする人類学者たちが、明治、大正、昭和にわたって、アイヌや琉球の人々の骨を持ち去った。初期の収集と研究には、他者に対する配慮が欠けていたし、当時の人種観があからさまに表れていた。

今や、そういう時代は終わった。現在の人類学者で、ヒト集団間の違いを優劣で考える人は誰もいない。しかし、私を含めた人類学者は、自分たちの学問がたどってきた道筋をよく知り、この分野が持つ社会的意味を、自らのこととして考えるべきなのだと思う。

米国では、 1990 年に、「アメリカ先住民の墓の保護と遺物の返還に関する法律」が作られ、国有地で発見され、国費で補助を受けている機関が持つ遺物は先住民に返還することとなった。

96 年、ワシントン州の河原で発見されたケネウィック人の骨は、 9000 年ほど前のものだ。この人骨の研究は、アメリカ先住民がどこから来たのかを解明する上で非常に貴重である。

しかし、当然ながら、先住民の団体は、法律に基づき、返還を要求した。では、ケネウィック人は誰の祖先なのか?遺伝子解析をするには骨の一部を破壊しなくてはならないので、先住民の反対もあった。しかし、新しい遺伝子解析の技術を使って調べた結果、ケネウィック人は現在のワシントン州周辺に住む先住民ともっとも遺伝的に近いことが 2015 年に判明した。

そして、紆余曲折を経て、とうとう 17 年 2 月、ケネウィック人の骨は先住民連合に返還され、埋葬が行われたのである。このような返還は、世界各地で行われ始めている。

日本でも、アイヌや琉球の人々の骨の返還を求める動きは以前からある。研究のためには資料は不可欠だ。研究の成果は人類全体の知識を増やし、自然への理解を深めるだろう。しかし、異なる文化の人々の伝統や世界観も、十分に尊重しなければならない。そこで対立を先鋭化させないためには、現在の研究者と先住民との間に、強い信頼関係がなければならない。

互いに平等な相手として尊重しあう、互いに相手の考えに耳を傾ける、両者の価値観の違いを乗り越える方策を探る、という地道な努力が不可欠である。

毎日新聞掲載「時代の風」バックナンバー

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