2017.11.19

時代の風~第15回 大学という社会装置(2017年11月19日)

大学という社会装置

始まりは知への欲求

ものの由来を知ることは大切だ。それは面白いだけでなく、当たり前だと思っている現状を、異なる観点から見直すきっかけを与えてくれる。

たとえば、哺乳類の中耳には「つち骨」「あぶみ骨」「きぬた骨」という三つの小さな骨があり、それらが鼓膜に連動して音を聞く役目を果たしている。この仕掛けは絶妙であり、耳が聴覚のための装置であることは自明だ。ところが、中耳の由来を見ると、それは魚が陸に上がった後になって、空気を伝わってくる振動を音としてとらえるようになってからできたものであり、中耳の三つの骨は、実は顎(あご)の骨の一部からできてきたのである。

さて、大学という社会装置である。昨今は大学改革の一層の促進ということが叫ばれており、国立大学法人は(1)世界のトップを目指す大学(2)特定の分野で活躍する大学(3)地域貢献を果たす大学、の三つから一つを選び、それぞれの目標達成のための計画を立てねばならない。現在の日本の状況にかんがみて、大学が変革しなければならない部分は確かにある。世界的な一流大学であっても、社会の新たな潮流に適合するために、日々、改革に取り組んでいるのも事実である。

しかし私は、大学という社会装置がそもそもどのような由来でできたものであり、それが続いてきた理由は何なのかについての根本的な認識が、日本の社会にあまり共有されないまま、現在の大学改革の議論が進められているように思う。

19世紀後半から20世紀にかけて作られた世界の諸大学は、確かに、国家の発展に資する人材養成と技術開発を目的に作られた。日本の大学もそうである。しかし、そもそもの大学の起源は、イタリアのボローニャ大学やフランスのパリ大学など、12世紀のヨーロッパにまでさかのぼる。

碩学(せきがく)と呼ばれる人物のまわりに若者たちが集まり、教えを請うとともに互いに議論をする場、というのが大学の始まりであった。学生が教授を雇う。ラテン語を使うので、それぞれの出身地の言語とは関係がない。学生はヨーロッパ中から集まってくるので、大学がある土地の法律には縛られない--などなど、大学とは最初から国際的な団体であり、大学独自の自治を要求し、多くの闘いの果てにそれらを獲得してきた。

その後、ルネサンスを経て絶対王制の時代に入り、各国の君主が教養を身につけ、それを誇る時代になる。そこで王侯貴族の寄付による大学が続々とできた。英ケンブリッジ大学の各カレッジは、そのような寄付によって設立されたものがほとんどである。その先は、王侯貴族の意向に沿うような運営を強いられた場合もあったが、大学は抵抗し、自治を守り続けてきた。さらに、20世紀アメリカの私立大学などでは、教授が経営者の言いなりになることを求められた時期もあったが、大学はそれにも抵抗してきた。

ここでは、大学の歴史の全体像を語ることはとてもできない。が、大学の歴史は、創設の当初から今日に至るまで、自由な研究と教育を求める学者たちと、大学のあり方をコントロールしようとする諸勢力との闘いの歴史であったと言えよう。闘い続けながらも、大学という組織は存続した。12世紀から今に至るまで、細部は変われどもずっと存続してきたという組織はまれである。そのことは、とりもなおさず、自由な知識の追求の欲求と、それを学びたいという若者の欲求とは、人間の本性だということではないだろうか。

人間には「知りたい」という根源的な欲求があるのだ。「知らない」よりは「知っている」ことの方をよしとする。そのような価値観は、文明の一部なのだと私は思う。だから、私たちは、知識の追求を価値あるものと考えるのである。

そうして行われた知的探求の一部からは、現在の貨幣経済の中で、経済的価値を生む可能性のあるものが出てくるだろう。それは国家の発展にも寄与するだろう。しかし、そのような経済的価値を生み出すことが、知識追求のそもそもの目的なのではない。大学が、現在の社会状況に適合した役目を付加していくことは必要だが、もともと大学という組織がなぜ出現し、なぜそれが連綿と続いてきたかの理由を知っておくことは必要だと思うのである。

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