2017.10.08

時代の風~第14回 自意識の進化(2017年10月8日)

自意識の進化

鏡の発明と自己の肥大

私たちは、「自分」という存在を認識している。周囲の状況に応じて「自分」の行動を変えることは、どんな動物でも行うが、私たちは、そうしている「自分」を自分で認識している。それは、自意識、自己認知などと呼ばれる。

人間以外の動物にも自己認知があるかという問題は、古くから研究されてきた。なかでも、アメリカの心理学者のギャラップが、1970年代から行っている鏡を使ったテストが有名だ。チンパンジーが眠っている間に、額の上など、鏡がなければ見えないところに塗料などで印をつける。目が覚めたチンパンジーが、鏡に映った自己像を見て塗料の印にさわればテストに合格で、チンパンジーには自己認知があるということになる。確かにチンパンジーはこのテストに合格する。

今のところ、人間以外の動物で、鏡のテストに合格しているのは、チンパンジー、ゾウ、イルカ、そして鳥のカササギである。人間の赤ん坊も、初めから自己像が分かるわけではない。鏡の自己像を見て自分だと認識できるようになるのは、2歳ごろからのようだ。鏡のテストに合格すれば、自己認知があると結論づけてよいだろう。鏡に慣れたチンパンジーやゾウは、鏡の前でわざと大きく口を開け、自分の口の中を観察することもある。

しかし、鏡のテストに合格しなかったからといって、その動物に自己認知が「ない」とは言いにくい。ニホンザルでもイヌでも、自分のからだと他個体のからだとの区別はある。ニホンザルの場合、実験に少し手を加えると、テストに合格するようになるようだ。

そもそも、鏡というものは自然界には存在しない。動物の脳が進化してくる過程で、そんなものは存在しなかった。それなのに、こんな新奇な道具を使ってテストされ、数日の混乱を経て自己の鏡像を理解する動物たちがいるということは、彼らには、もともとなんらかの形で自意識が進化していたということだろう。

私たちが現在使っているきれいなガラスの鏡が発明されたのは14世紀ごろだ。ベネチアングラスで有名なイタリア・ムラーノのガラス職人が発明したという話である。では、それ以前はどうだったかというと、静かな水面に映る自分を見るか、銅などの金属を磨いた鏡を使うしかなかった。銅鏡などの金属の鏡は、いくらよく磨いてあっても、ガラスの鏡のように明確な像を映すことはない。

さて、動物の中でどのようにして自己認知が進化したか、というのは興味深い問題だが、今度は、正確に像を映し出す鏡の発明が、人間の自意識にどんな影響を与えたかについて考えてみたい。人間が、毎日きれいなガラスの鏡に映る自己像を見て暮らすようになったのは、鏡の発明以降のことに過ぎないし、現在でも、途上国の、とくに都市部以外に住む人々にとって、そんなことは日常的ではない。

スティーブン・ジョンソン著の「世界をつくった6つの革命の物語」(朝日新聞出版)では、ガラスの鏡の発明が、ルネサンス以降の絵画に「自画像」というジャンルを生み出し、やがて、自己の内面を語る小説という文学の誕生を促し、やがてはそれが個人の人権意識の確立にもつながっていく歴史が描かれている。個別の技術が、誰も思いもよらなかった社会の転換を生み出すというのは、こういうことだろう。技術は、ある一つの側面で生活を便利にするばかりでなく、人間が外界をどのように認識するかにも影響を与える。

一般には、自己認知ができる動物は、できない動物よりも、他者理解のレベルも高い。しかし、高度なレベルの自意識を持つ私たち人間は、現代のあらゆる科学技術を駆使して、「自分」だけに焦点を当てるようになってはいないだろうか? ペットボトルからスマートフォンまで、「個人」の自由と好みを満足させ、自分の興味にふけり、自分の感じたことをつぶやき、自撮りの画像を配信し、人々の注意を自分に向けさせようとする。「自己チュー」の横行である。

しかし、子どもが4、5歳になると他者の視点からものが見られるようになるのと同様、この自己チュー技術の社会も、そのうち他者や共同体全体への配慮を持つようになるのかもしれない。

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