2024.05.15
【プレスリリース】古代タンパク質が明かす秘密: 歯石から読み解く過去の歯周病原因子
福原 瑶子 1 ,2, 島村 繁 3 , 澤藤りかい 1,4 , 西内 巧 5 , 米田 穣 6 , 石田 肇 7,8 , 松村 博文 9 , 蔦谷 匠 1,4
1 総合研究大学院大学,
2 岡山大学,
3 国立研究開発法人海洋研究開発機構,
4 コペンハーゲン大学,
5 金沢大学,
6 東京大学,
7 琉球大学,
8 オリブ山病院,
9 札幌医科大学
発表のポイント
- 歯石は、DNAやタンパク質といった分子情報を保存し、個人のライフヒストリーを映し出す貴重な情報源です。
- 1000年以上前のオホーツク文化期に該当する古人骨から採取した歯石を分析し、ヒト由来および口腔内細菌由来の古代タンパク質を同定しました。
- 同定された口腔内細菌タンパク質の中には、現代の歯周病と関連する重要な病原因子が含まれていました。
- このような研究から得られた知見は、過去の健康状態と疾患の理解を深めることに加え、現代医療にも貢献する可能性があります。
【研究概要】
私たちの口の中には、さまざまな細菌が共存しており、ときには虫歯や歯周病などの病気を引き起こす原因となっています。しかし、過去に生きた人々の口腔内細菌はどのようなものだったのでしょうか?この疑問に答えるため、私たちは古人骨に残された歯石を分析しました。個人の死後も歯石はDNAやタンパク質といった分子情報を安定的に保存し、過去に生きておられた個人のライフヒストリーを現代に伝える貴重な情報源です。 今回、約1000年以上前の北海道に住み、重度の歯周病が疑われるオホーツク文化期の古人骨から歯石を採取しました。プロテオミクス※1を用いてこの歯石に含まれる古代タンパク質を同定し、口腔内細菌の種類や口腔内の炎症の程度を明らかにしました。同定された口腔内細菌タンパク質の中には、現代の歯周病と深く関連する病原因子が含まれていることが確認されました。 歯石から得られる情報は、過去に生きておられた人々の健康状態やライフヒストリーを詳細に解明するための貴重な資料です。今後、過去の疾病の実態を調べる研究が進展すれば、人と共存してきた細菌が時間とともにどのように進化してきたかが明らかになり、現代人を悩ます疾患の起源や進化的な原因を解明することもできるようになるかもしれません。
【研究の背景】
歯周病は、私たち現代人が歯を失う主な原因です。実は、現代の人々だけでなく、過去に日本列島に住んでいた人々も歯周病にかかっていたことが、これまでの研究から明らかになっています。しかし、これらの過去の人々の口腔内に存在した病原体はどのようなものだったのでしょうか。本研究では、北海道の礼文島から出土した、時期としてはオホーツク文化期に該当する約1000年以上前の古人骨から歯石を採取し、質量分析を利用したプロテオミクスを通じて歯周病の病原体や宿主由来のタンパク質を同定しました。
【研究結果の概要】
オホーツク文化は、5世紀~13世紀にわたり、サハリン、 オホーツク海沿岸から北海道北東部、千島列島までの地域に居住した狩猟採集民の営んだ文化形式です。漁撈※2を主として行い、海産物(海性哺乳類や魚類など)を主なタンパク質源として食べていたことがわかっています。本研究では、1992年の発掘調査で北海道礼文島の浜中2遺跡から発掘されたオホーツク文化期、女性の古人骨(HM2-HA-3号)を対象としました(図1)。放射性炭素年代測定によって、この女性は西暦565–678年くらいに亡くなったことがわかっています。この年代は、礼文島におけるオホーツク文化期の最盛期のはじめ頃にあたります。
この女性の歯の表面には、非常に多くの量の歯石が、まるでカリフラワーのように付着していました。さらに、歯を支える歯槽骨の高さが著しく低下しており、進行した歯周病の状態にあることが確認されました。このような歯周病が進行した状態でも、きちんと食べ物を食べられていたのでしょうか?この女性が存命時にどのような食物を摂取していたのかを明らかにするため、安定同位体分析により、浜中2遺跡出土の他の古人骨個体との食性の差異を調査しました。その結果、この女性は他の個体と同様の食物カテゴリーからタンパク質を摂取していたことが判明しました(図2)。
続けて、私たちはこの女性の下顎切歯から歯の表面に傷付けることなく歯石を採取し、古代分子の分析専用のクリーン実験室でタンパク質を抽出しました。抽出したタンパク質に対してプロテオミクスを行い、ヒト由来および口腔内細菌由来のタンパク質を同定しました。その結果、ヒト由来からは81種類、口腔内細菌由来からは15種類のタンパク質を同定できました(図3)。 特に注目すべきは、現代の歯周病の原因として名高い、レッドコンプレックスの一部の細菌(Porphyromonas gingivalis, Treponema denticola)由来のタンパク質も同定できたことです。さらに、レッドコンプレックスのみならず、現代人において歯周病と関連することがわかっている口腔内細菌由来のタンパク質も同定できました。ヒト由来のタンパク質としては、唾液中の抗菌ペプチドや免疫応答タンパク質が同定されました。
【今後の展開・この研究の社会的意義】
私たちの口腔内は、多種多様な細菌が共存する複雑な環境です。これらの細菌が病原性を獲得した時期や進化の過程については、まだ多くが謎に包まれています。こうした謎を解明するためには、過去の口腔細菌の進化の歴史を詳しく理解する必要があります。現代の歯科医療において、歯石は歯周病を引き起こす要因の一つであり、すぐに除去されてしまいます。しかし今回、私たちはそのような“見向きもされない”歯石に着目し、1000年以上前の古歯石から歯周病原性細菌由来のタンパク質を同定することができました。今後、こうした研究が進み、口腔内細菌の病原性の獲得と進化のメカニズムが明らかになることで、それを基にした口腔衛生の向上や新たな感染症予防策の開発が可能となるかもしれません。
今回の研究では、数十ミリグラム程度の歯石を使用してプロテオミクスを行いました。過去に生きた古人骨を対象とした研究では、用いる対象や手法を最小限の侵襲に留めることが非常に重要です。というのも、古人骨は、もとをたどれば、過去に生きていた私たちと同じ人間であるからです。そうした過去の人々のご遺体を研究に使わせていただくことによって、私たちは当時の暮らしや生老病死の証拠を正確に復元することができ、現代に生きる私たちの暮らしをより良くするための手がかりを得られます。研究を進める上で、あるいは、社会の一員として考古遺物に向き合う上で、古人骨に対して常に最大限の敬意と配慮を持ち続ける必要があると考えています。
【用語解説】
※1 プロテオミクス
試料中に存在するタンパク質を網羅的に同定する技術のこと。
※2 漁撈
食料確保のため、海洋哺乳類や魚介類、貝類などの海産物・水産物を捕獲・収穫すること。
【著者】
- 福原 瑶子(総合研究大学院大学 統合進化科学コース)
- 島村 繁(国立研究開発法人海洋研究開発機構)
- 澤藤 りかい(総合研究大学院大学 統合進化科学研究センター, コペンハーゲン大学Globe Institute、日本学術振興会特別研究員 CPD)
- 西内 巧(金沢大学 疾患モデル総合研究センター、サピエンス進化医学研究センター)
- 米田 穣(東京大学総合研究博物館)
- 石田 肇(琉球大学大学院医学研究科人体解剖学講座、オリブ山病院)
- 松村 博文(札幌医科大学 保健医療学部)
- 蔦谷 匠(総合研究大学院大学 統合進化学研究センター、コペンハーゲン大学 Globe Institute 日本学術振興会海外特別研究員RRA)
【論文情報】
【問合せ先】
- 研究に関すること
蔦谷 匠(総合研究大学院大学 統合進化学研究センター 助教)
E-mail: [email protected]
福原 瑶子(総合研究大学院大学 統合進化科学コース 博士後期課程1年)
E-mail: [email protected]
- 報道担当
国立大学法人 総合研究大学院大学
総合企画課 広報社会連携係
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