2023.05.30
第63次南極地域観測隊(越冬隊)の隊員からメッセージが届きました⑦(最終回)
こんにちは。第63次南極地域観測隊に参加中の事務局職員の馬場です。
我々63次越冬隊は、64次夏隊とともに3月22日夜に帰国しました。今回の寄稿では、2月1日の越冬交代式から帰国までの様子をお伝えします。2月1日。63次越冬隊が62次越冬隊から昭和基地の維持・管理を引き継いでからちょうど1年が経ち、今度は63次越冬隊から64次越冬隊へとバトンを受け渡す日がやってきました。
日付が変わるタイミングで、発電棟にある制御室では発電機のリセット式が行われていました。これは、63次隊が運用してきた発電機の運転時間数のカウンターをリセットし、64次隊に運用を引き継ぐもの。昭和基地での停電の発生は隊員の生死にも関わりかねませんが、63次隊ではそのような事態に陥ることはなく、1年間無停電で乗り切ることができました。これも発電機のエンジンや制御を担当する隊員のおかげです。
越冬交代式は、64次隊の伊村隊長と「しらせ」の斎藤副長、そして64次夏隊員が立ち会うなか、午前9時過ぎから19広場で執り行われました。私は式の前半の司会・進行を務め、63次越冬隊と64次越冬隊の越冬交代の成立を宣言して、司会・進行を64次越冬隊庶務担当の白野隊員へとバトンタッチしました。この越冬交代式をもって、63次越冬隊から64次越冬隊へ、昭和基地の維持・管理と観測・設営業務の一切が引き継がれたことになります。64次先遣隊とともに11月から南極大陸無陸部にあるドームふじ観測拠点Ⅱに行っていた63次越冬隊6名も前日に昭和基地に帰還したため、この日の越冬交代式には昭和基地で1年間を一緒に過ごしてきた63次越冬隊の32名全員が参加することができました。
式の終了後は、64次越冬隊との別れを惜しむ時間もそこそこに19広場からヘリポートへ移動し、「しらせ」から迎えにきたヘリコプターで昭和基地を後にしました。
「しらせ」では波江野艦長のほか、大勢の乗組員が握手やハイタッチで出迎えてくれて、1年間にわたる昭和基地での越冬生活の労を労ってくれました。
我々を収容した「しらせ」は一路日本に向けて帰国の途に着くかというと、そうではありません。引き継ぎなどのため、越冬交代後も昭和基地に残っている一部の隊員を収容する最終便が運行されるまでの約2週間、「しらせ」はリュツォ・ホルム湾にとどまり、昭和基地から20kmほど離れたラングホブデ氷河沖での海洋観測を行っていました。
南極大陸を覆っている氷床が融解する原因のひとつとして指摘されているのが、海にせり出した棚氷の底面を暖かい海水がとかす「底面融解」です。そのメカニズムを解明するため、海氷が流れ出す場所(氷河)の沖合で、海水を採取して水温や塩分などを測るCTD観測や係留系による観測のほかに、64次隊ではMONACAと名付けたAUV(自律型水中ロボット)による探査や海底地形測量、ドローンを使ったエアロゾル観測など、様々な海洋観測が行われました。
実は、1月下旬に「しらせ」が昭和基地沖を離岸して以降、昭和基地のある東オングル島と南極大陸を隔てるオングル海氷の海氷が流出し、徐々に開放水面が広がってきました。一夜にして昭和基地の近くに氷山が流れ着き、朝、食堂の窓から突如現れた氷山を見て驚いたことがありました。ラングホブデ氷河沖の海洋観測の途中、南極大陸沿岸部のルート工作で立てた旗竿が刺さった海氷が流されていくのを見て、64次越冬隊が来シーズンに東オングル島から南極大陸に渡ったり、大陸沿岸部で活動したりする際に支障が生じないか懸念も持ちましたが、その一方で、開放水面の拡大は「しらせ」による海底地形測量やMONACAによる海洋観測には好都合だったのかもしれません。
リュツォ・ホルム湾内の海氷上では、アデリーペンギンやコウテイペンギン、アザラシなどの姿を見ることができました。
2月15日、昭和基地に最後まで残留していた64次夏隊員を最終便で収容した「しらせ」は北上を開始し、リュツォ・ホルム湾の流氷域を離脱しました。次の目的地であるトッテン氷河沖に向けて東進する「しらせ」では、5日連続で時刻帯変更が行われました。1日1時間ずつ短くなり(毎日23時に1時間ずつ時計の針を進める)、起床時間が1時間ずつ早くなっていくため、次第に朝起きるのがつらくなってきます。
そんな中、トッテン氷河沖に到着するまで海洋観測がひと段落した船内では「南極大学/しらせアカデミー」として、63次越冬隊員と64次夏隊員による観測・設営作業等に関する報告会が開かれ、多数の「しらせ」乗組員や観測隊員が耳を傾けていました。これは、トッテン氷河沖到着後も夜学として続けられました。
2月25日にトッテン氷河沖に到着した「しらせ」は、再び約2週間の海洋観測を行った後、3月11日にトッテン氷河沖の流氷域を離脱しました。これで流氷や氷山が浮かぶ南極らしい風景とはいよいよ本当にお別れです。恐らく再び南極に来ることは無いだろうと思うと、バタバタと昭和基地を後にした時よりも感慨深いものがありました。
64次の往路では暴風圏を通過する際に相当揺れたと聞き、復路ではどの程度揺れるか心配しましたが、幸いなことにあまり揺れずに済みました。3月18日に船内で貸与装備品の回収作業などを行い、3月19日に「しらせ」はオーストラリアのフリーマントル沖合に投錨し、仮泊しました。午前中に遠くに船が航行しているのが見えて、少し文明圏に近づいてきたことを感じましたが、午後になって陸の緑が見え、携帯電話の電波が届くようになり、1年4ヶ月ぶりに文明圏に帰ってきたことを実感しました。
3月20日、「しらせ」はフリーマントルに入港しました。この日は退艦のセレモニーが飛行甲板で行われたほか、日本入国時に必要なオンライン上の検疫事前手続きなどを船内で行い、終了した者から一時上陸の許可が与えられました。庶務隊員は翌日の下船を控えて船内での残務があり、他の隊員に比べてゆっくり上陸というわけにはいきませんでしたが、大学時代の先輩がオーストラリアに迎えに来てくれており、市内のレストランで夕食を共にすることができて、感激しました。
3月21日夜、「しらせ」を下船した観測隊員はチャーターバスで空港に向かい、マレーシアのクアラルンプール経由で3月22日の夜に羽田空港に到着しました。到着が深夜だったこともあり、極地研が手配した空港近くのホテルで1泊して、約500日(出国前の隔離期間を含めれば、プラス2週間)に及ぶ南極出張の幕が閉じました。
長期間にわたり総研大の業務を離れてこのように南極観測隊に参加する機会を与えてくださった本学の執行部と送り出してくれた同僚の皆さんにこの場を借りて感謝申し上げるとともに、後輩たちにも(できれば若いうちに)基盤機関などで様々な経験を積むチャンスがあることを願っています。
また、最後になりましたが、拙い文章をお読み頂いた総研大ニューズレター/ホームページの読者の皆様にお礼を申し上げます。
掲載協力:国立極地研究所