2022.09.28
2022年度秋季学位記授与式 学長式辞
2022年度秋季学位記授与式 学長式辞
博士の学位の持つ意味とその使い方
本学の学位を授与され、今年ご卒業されるみなさま、本当におめでとうございます。皆さん自身のご努力を称賛するとともに、それを支えてくださった指導教員および各専攻の教員のみなさま、ご家族のみなさまにも感謝したいと思います。
コロナによる世界全体の行動制限のため、みなさんはいろいろとご苦労されたと思います。研究室に来られない、みんなで集まって討論ができないなど、研究を遂行する上で必要なことが何かと阻まれる中、本日、最終的に学位を授与されることになりましたこと、心よりお喜び申し上げます。困難を乗り越え、普通ではあり得なかった事態に直面しながら学位取得に至ったこの経験は、これからもいろいろな意味で役に立つことになるでしょう。と言うか、是非とも役に立ててください。それほどの困難であったと思います。
さて、みなさんは、ある一つの学位論文のテーマに沿って深く研究し、その分野での知識を、他の誰よりも多く身に付けたことでしょう。専門家とはそういう人たちを指します。みなさんは、ある一つの分野での専門家です。その自負を持ってください。このネット検索と電子ジャーナルの時代にどうなのかは私にはわかりませんが、私自身が博士課程の院生だったころは、少なくとも自分の分野で何が起こっているのか、どんなことが明らかにされているのか、何が論争されているのか、そんな最先端の知識は、ほかならぬ自分こそが持っている、という自信がありました。指導教官の先生よりも、自分こそが最先端だという自負がありました。今はどうでしょうね?
でも、今や、なんでもネットで検索して読むことができる時代なので、そんなことに関する自信は、実はもう必要ないのかもしれません。それでも、自分の専門とする分野において何が大きな問題とされているのか、何が探求に値する疑問なのか、みなさんは、自分こそそれを知っている大家なのだという自信はあるだろうと思います。
でも、研究はどんどん進んでいきます。これからも、みなさんがそんな研究の最先端にい続けられるかどうか、それは、これからみなさんがどのような環境で生きていかれるのかにかかっているでしょう。
自分の専門分野で学者・研究者としての地位を得て、これからも大学その他の研究機関で研究を続けていかれる人は、そのような最先端の地位を維持していかねばなりません。これは、それなりに大変なことです。しかし、ある意味では楽な道でもあります。それは、今まで院生としてやってきたことの延長でこれからの生活が営まれていくからです。これとは違う道を選ぶのは、楽ではありません。
本学の卒業生の中で、学術的な研究者としての地位につく人たちの割合は、学位取得直後でおよそ6割です。あとの4割は、そうではないなんらかの地位を得ることになります。私の学長としての任期は、来年の3月で終了します。そこで今、私は、学長の任期を終えるに当たって、私の任期中のやり方が良かったかどうか聞くために、すべての専攻を訪ねています。そこで現在研究中の院生たちの意見を聞くと、そもそもアカデミアのポジションを得たいと考えている院生がすべてではないどころか、半分くらいかもしれないことがわかってきました。あとの半分は、何らかの形で、最初から他の就職を考えています。
およそ30年前に総研大が作られたころ、本学の使命は、学術コミュニティに次世代研究者人材を送り出すことでした。しかし、学術をめぐる日本および世界の状況は、それ以後激変しています。大学の予算は削られ続け、人件費の削減により、若手研究者の地位のほとんどは任期付きとなりました。学位を取得しても、5年、3年、または1年という短い任期の有期雇用の研究者の地位しかありません。それらを渡り歩いてつないでいく不安定な生活は、将来のキャリアとしてあまり魅力的ではないでしょう。だから、アカデミアを目指さない、という選択を考える人たちの気持ちはよく理解できます。
一方で、世界を見渡すと、日本以外の国々では、企業、官公庁、NPO法人など、学術以外のさまざまな職場で、博士の学位を取得した人々が活躍しています。社長などの会社の執行部の人々や、省庁の部長クラス以上の人たちが、同等の地位にある海外の人々と名刺交換すると、海外のそれらの人々のほとんどがPhDの肩書きを持つのに対し、我が国の人々はみな学部卒だという現実があります。ある意味、日本という国は、社会で重要な意思決定をするべき立場にある人々の低学歴が目立つ社会なのです。
それを考えると、日本の博士号取得者は、その専門分野にかかわらず、学術の世界以外でももっとずっとたくさん活躍するべきなのだと私は思います。つまり、アカデミアの世界が就職難だから、しかたがなくて別の世界でキャリアを築こうというのではなく、博士号取得のための研究で培った種々の能力をもとに、別の世界で活躍しようと考える人々をもっと強く応援していいのではないか、と私は考えるようになりました。もしも、アカデミアの地位につけなかったら、それは敗北だと考える傾向があるならば、そういう考えは辞めましょう。そうではなくて、アカデミアを目指すのか、そうではない活躍の道を選ぶのか、それは同等に望ましい、開かれた選択なのです。
みなさんが培った学術的な方法論と知識は、日本の学術のその分野の発展のために大変重要な蓄積となります。しかし、そういう意味ではなくて、専門の研究を行うことで、みなさんは、一般的に言ってどんなん能力を身に付けられたでしょうか? 専門の分野における知識の探求と蓄積という意味ではなく、一般的な意味です。
それは、何であれ、現状を俯瞰して見ること、そうしたときに、問題がどこにあるのかを発見する能力、そして、そんな問題に直面したら、それがなんであれ、どのようにしてその問題に取り組めばよいのかを考える能力、なのではないでしょうか。学位論文研究を通じてみなさんが身に付けた能力を抽象化し、一般化すると、そんなことなのではないかと思います。今は、それをtransferable skillと呼んでいるようです。どこに行っても、そこで問題解決のために使える能力という意味ですね。
そして、本当に問題を解決するためには、一つの分野からのアプローチだけで十分ということはあり得ません。現実社会におけるすべての問題は、関係するさまざまな分野の総力を結集せねば解決できない複合問題でしょう。それをすべて自分一人で解決することは不可能ですから、他に助力を求めねばなりません。そこで、自分の専門分野以外のところで、どれほど信頼に足る人材を知っているかが重要になります。
総合研究大学院大学は、国立民族学博物館から高エネルギー加速器研究所にいたるまでの、幅広い分野の研究者を抱えています。それぞれの専攻は、それぞれに世界一流の研究を行っている研究所です。私は、ここで学ぶ院生のみなさんには、この広い分野の全体を俯瞰できる視野を身に付けるとともに、分野を越えて人間的絆を作り、そのような人間関係を、将来の問題解決のための糧とすることができるようにしていっていただきたいと思っています。フレッシュマンコースなど、本学ではいくつかのそのような機会を提供してきました。が、今日ご卒業の皆さんには、コロナ禍のために、そんな絆を構築する機会が少ししかなかったかもしれません。そうだとすれば、とても残念に思います。
それでも、皆さんは、私と違って若い世代なので、さまざまなソーシャルメディアを駆使して関係を構築するすべを身に付けていられるのでしょう。それやこれやを駆使して、タテと横のつながりを駆使し、これからの世界に乗り出してください。
世界は、コロナ禍ばかりでなく、地球環境問題の深刻化、ウクライナをめぐる戦争、先進国の中および世界全体での格差の拡大など、かつてないほどの危機に面しています。みなさんは、これから先どんな就職先を選ぶにせよ、どこで暮らすにせよ、学位取得のための研究を通じて得られた知恵をもとに、この世界を少しでもよくするために尽力していってください。みなさんにはその能力があると信じていますし、みなさん自身にも、その能力を自覚して欲しいと思います。
今日は本当におめでとうございます。これからのご活躍を期待しております。
2022年9月28日
総合研究大学院大学 学長
長谷川眞理子