2022.09.09

第63次南極地域観測隊(越冬隊)の隊員からメッセージが届きました④

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こんにちは。第63次南極地域観測隊に参加中の事務局職員の馬場です。
早いもので、今年2月1日に62次隊との越冬交代式を執り行ってから半年が経過し、昭和基地での越冬生活も折り返しを迎えました。今回は、越冬生活前半の様子を振り返ってご紹介します。

2月中は概ね晴れ又は曇りの日が多く、前回お伝えしたとおり、越冬に向けた準備を順調に進めることができましたが、2月27日未明から28日にかけて低気圧が接近して昭和基地はブリザード(吹雪)に見舞われ、63次隊として初めての外出注意令が発令されました。越冬隊長によって外出注意令又は外出禁止令が発令されると、屋外への外出が制限されるとともに、人員点呼を行って全員の所在を確認します。その際は、私も通信室での所在確認の補助などを行います。 ブリザードは、視程、平均風速、継続時間によって、A級・B級・C級の強度階級がつけられます。63次隊では、7月末までに例年並みの16回のブリザードが来ています。

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(観測などのため外出注意令発令時に建物から出る場合は、必ず複数名で行動し、ライフロープ(命綱)を使用します。また、出発時・到着時には通信室へ無線連絡を入れます。外出禁止令が発令されると外出は一切できなくなります。2022年7月8日)

極夜期(5月31日~7月12日)に入る前は、基地の安全な運営や、極夜明け以降に本格化する野外での活動を安全に行うため、各種講習や訓練を行う機会が増えました。昭和基地は南極大陸から約4km離れた東オングル島という島にあるため、野外活動の移動手段としてスノーモービルや雪上車など、南極ならではの車両を使用します。多くの隊員にとって日本では乗る機会のないこれらの車両の操縦方法について、車両担当の隊員による講習が行われました。また、海氷の上を車両で安全に移動するためには、車両の重量に耐えられるだけの氷厚があるかを予め測定したうえでルートを設定し、そのきめられたルートに沿って移動する必要があります。そのルート工作の訓練や、万が一の事故に備えたレスキュー訓練も、山岳ガイド出身の野外観測支援担当の隊員の指導の下で行われました。

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(車両担当の隊員によるスノーモービル講習。2022年3月28日)

情報発信担当としての私の仕事のひとつに、隊員とゆかりのある小・中・高校と昭和基地とをインターネット回線で結び、隊員と児童・生徒がリアルタイムで交信することで南極観測についての理解を深めてもらう「南極教室」があります。63次隊では、4月26日に私の母校である栄光学園中学・高校(神奈川県鎌倉市)で開催したのを皮切りに、10月までに全12回開催する予定です。 南極教室のほかにも、極地研主催で7月30日に南極・北極科学館と連携している博物館などの13機関との多元中継イベントや北極ニーオルスン基地とを結んだYouTubeライブといった中継イベントを行いました。これらの中継イベントでは、昭和基地で現在実施中のローカル5G実証実験で用いている基地内LTE回線と、各隊員に貸与されているスマートフォン端末を活用して、従前では困難だった屋外からのワイヤレス生中継を行うなど、各隊員の創意工夫による様々な新しい試みを取り入れています。

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(南極教室における屋外中継の様子。2022年4月26日)

4月から5月にかけて、徐々に極夜が近づき、夜が長くなってくると、オーロラを観察できる機会が増えてきました。昭和基地のある南緯70度付近はオーロラの出現頻度が高い「オーロラベルト」とも呼ばれ、観測するのに絶好の場所です。360度見渡せる昭和基地の上空で大きく、そして激しく揺れ動くオーロラを見たときはこころを奪われました。

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(赤や緑に輝くオーロラ。4月9日)
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(渦巻く緑色のオーロラ。5月31日)

5月30日の日の入りをもって、昭和基地は極夜期に入りました。昨年12月に昭和基地に到着したのは一日中太陽が沈まない「白夜」の時期で、一日中明るかったため、「極夜」の時期はその反対でなんとなく24時間中真っ暗というイメージを持っていましたが、実際には晴れていれば正午前後の数時間は照明が無くても屋外での作業ができる、日の出前や夕暮れどき程度の明るさになりました。そのため、思っていたよりは明るかったというのが正直な感想です。

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(薄暮の中、ゾンデ放球を行う気象隊員。6月13日)

とはいえ、極夜期には野外活動へ出かけることも制限され、できることには限りがあります。 そんな極夜期に沈みがちな気分を盛り上げるイベントがミッドウィンターフェスティバル(MWF)です。MWFとは冬至を祝うお祭りのことで、南極ではクリスマスなどの祝日よりも重要な祝祭日となっています。南極圏にある各国の観測基地ではお互いにEメールでグリーティングカードを交換したり、越冬隊員がそろってスーツを着用し、豪華なディナーを頂くのも恒例となっています。 昭和基地でも、5月から実行委員会を組織して様々な企画を立案し、業務の合間を縫って準備を進めてきました。あいにく、開始を予定していた冬至のその日にブリザードが襲来し、それが残していった大量の積雪を除雪する作業を優先させた結果、冬至よりも数日だけ日程をずらして、6月24日から27日までの期間でMWFを楽しむことができました。

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昭和基地から各国の観測基地へ送ったグリーティングカード
極夜は、7月13日の日の出をもって終わりました。極夜明けは雲の切れ間から太陽が拝むことができたものの、日照時間としてはカウントされない曇や雪の日が続きましたが、7月下旬には一転して晴天が続き、7月の月間日照時間は歴代トップとなる17.9時間を記録しました。 そんな中、今後の南極大陸の内陸部や沿岸での活動に向けた海氷上ルートを設置する作業のために、野外での活動を再開しています。私も日帰りや、8月8日~9日に1泊2日で南極大陸沿岸部のラングホブデと呼ばれる露岩域でのオペレーションに参加してきました。 このオペレーションでは、国内で学習用として学校に配布したりする"南極の氷"を採取する「アイスオペレーション」の候補地であるハムナ氷瀑の下見もしてきました。 南極大陸氷床はゆっくりと流動していて、数万年という長い年月をかけて内陸部から海へと流れ出しています。ハムナ氷瀑は、その氷の流れが、海岸部に露出した岩盤の狭窄部によって細く絞り込まれて、まるで滝のようになって落ち込んでいる特殊な場所です。ここで採取した氷を基地に持ち帰り、グラスに浮かべてみると、パチパチと空気が弾ける音がしました。「環境保護に関する南極条約議定書」の国内担保法である「南極地域の環境の保護に関する法律」に基づき、鉱物(石や砂など)を持ち帰ることはできませんが、氷についての制限はないため、南極の氷は観測隊員が唯一南極から日本へ持ち帰ることのできるお土産にもなります。
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(ハムナ氷瀑にて。8月9日)

まだまだ先のことだと思っていた帰国に向けた動きも始まっています。我々を迎えに来てくれる64次隊は、7月に極地研内に隊員室を開設するなどして、出発に向けた準備を本格的に開始しており、昭和基地側でもTV会議等での打ち合わせを行って受け入れ準備を始めています。 64次隊の本隊は今年の12月中旬に昭和基地に到着する予定で、我々63次隊と協力しながら約1ヵ月半の夏作業を行います。我々63次越冬隊は、来年2月1日に昭和基地の維持管理と運営を64次越冬隊へと引き継いだ後、昭和基地を離れて帰国の途に就き、3月下旬に帰国する予定となっています。

掲載協力:国立極地研究所

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