第4回(2015年4月15日)

Yasu通信

Yasu通信 第4回(2015年4月15日)

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。在学生の皆さん、「進級」おめでとうございます。

短い博士課程を、効率よく有意義に過すためには、ここ総研大の特性・長所をよく知り、それらを活用することが有益です。総研大の特性・長所については、詳しくは先日の入学式の式辞(注1)で述べましたが、要約すると次の3点となります。第1には、多くのバリアを越えて他大学から本学に入学したという、高いポテンシャルをもったあなた方自身とその仲間達です。第2は、それぞれの基盤専攻は、世界トップレベルの高度な研究を行っている国際的中核研究拠点に置かれており、そこには優れた学習環境と本学教員が配されていることです(注2)。第3は、「総合性」修得のために用意された全学総合教育プログラムや研究科横断教育プログラムなどの特別教育プログラムです。

今回は、本学名称の由来にも関係するこの「総合性」について付言しておきたいと思います。これは、デカルトが『方法序説』(1637)において学問の方法として提起した、「分析」の対義語としての「総合」の意味ではありません。特定分野における1つ事象に対する研究において、まず「分析」を行った上でその結果を「総合」するというやり方自体はもちろん誤ったものではありませんが、問題はその前提にあるのです。この近代科学の生みの親となったデカルト哲学は、「自然」と「理性」を分離した上で、人間が自然を機械論的に、そしてともすれば征服的に、取り扱うものです。この結果、自然科学は多くの専門分野に細分化し、1つ1つの分野において、この哲学が有力な方法を与えながら、それぞれの分野に著しい発展をもたらしました。しかし、現在ではこれらの分野を跨ぎ越えなければ解決できないような重要課題が、私達人類に多く突きつけられています。多くのそれらの解決のためには、新しい学問分野の開拓が求められています。本学が掲げる「総合性」とは、まさにこの新分野創成のための基盤を指すものであり、現在そのために含むべき教育内容は、'広い視野'と'分野を越えた学際性'と社会との連携'であると考えているのです。

デカルト哲学は、当然のことながら文系と理系の断絶を生む原因ともなりました。「総合性」とは、この断絶を前提とした上で両者を単に結びつけようとする「文理融合」と同じものではありません。この断絶をもたらした元となる前提に立ち返っての哲学的考察については、入学式式辞において紹介した梅原猛(国際日本文化研究センター初代所長)(注3)の最新の著書『人類哲学序説』(2013)などを参照してください。その意味から、本学における「総合性」修得のための教育プログラムにおいては、合宿型をとることで、文系と理系の両方の学生が同一の場で共に学ぶことができるようになっています。文系と理系の枠を越えて、異なる分野の学生が、討論し合って深く交流することができるので、分野をまたぐような新しい学問分野の形成に向けて刺激を得ることができるでしょう。その上に、将来にわたっての交友関係や相談相手も得られることでしょう。本学の全学総合教養教育プログラムである「総研大フレッシュマン・コース」や、現在計画中の合宿型異分野連繋的専門基礎教育プログラムとしての「葉山コース(仮称)」は、まさにそのような場を与えようとしているものです。これらの教育の中から、梅棹忠夫(国立民族学博物館初代館長)(注3)や河合隼雄(国際日本文化研究センター2代目所長)(注3)のような理系出身の文系研究者や、逆に文系出身の理系研究者や、文系と理系の両マインドを持った研究者が育ってくれるのではないかとも、期待しています。

総研大の特性・長所を活用して、新しい課題を発掘して、それを解決できる研究者をめざして、そして新しい分野を開拓する研究者をめざして、分野を異にする仲間達と共に学んで下さることを祈念しています。

では次回まで。

注1)本年4月の入学式の学長式辞は、 /news/18750/ 参照。

注2)本年4月に第一回総研大科学者賞を受賞された中央大学教授の中村 真先生( /news/18709/ 参照)も、このような総研大基盤専攻の優れた環境が得られたことによって、はじめて研究者として大きく成長することができたのだと、受賞講演で述べられています。

注3)いずれの方々も、総研大名誉教授です。

付1)新入生の皆さんも、これまで3回のYasu通信( http://202.243.234.21/outline/history/presidents/yasunobu_okada/yasu_tsushin/backnumber/ )を読んでくだされば嬉しいです。

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